「名取さんに、なろう」
入門数ヶ月の頃に話はさかのぼります。
四方山話をしていました。まさに世間話。
その合間にふと、私は
「10年くらい経ったら、こんな私でも、
名取さんになれますでしょうか?」と尋ねました。
師匠は
「あなたが頑張れば10年よりもっと早く取れますよ」と答えられました。
世間話のつもりで聞いた一言。
何気なく答えられた師匠。
しかし、その言葉に触発され、
私は、この時、
「いつか、名取さんになりたいと思います」と
師匠に宣言してしまったのです。
自分が口走った言葉に自分で驚きました。
そんなことを考えたこともなかったのに、
その瞬間、私はまさに口走ったのです。
すると師匠は笑顔で
「わかりました。じゃあ、僕はこれから、
あなたに今よりも厳しくするけれど、いいですか?」と仰いました。
この時の、師匠の声の響きを、
今でも私の心の中のテープレコーダが再生できます。
私は、師匠のこのお言葉に、激しく感動し、
「望むところです。お願いいたします」と申し上げ、
手をついてお辞儀しました。
「そのときがきたらさ。いいお名前を考えようね。
へんな名前でもいいよ(笑)。
ラミイとかつけたかったらつけてもいいぞ(笑)」
「ラミイはやめましょう(笑)。
やっぱり、もしお名前を頂くなら、
達也先生から一文字いただきたいですね。」
「そうなると、也の字かなあ。達は、女性には強すぎるんだよねえ。」
まだまだ先のことなのに、その日、
冗談で、「私がいつかいただくお名前」の話になったのでした。
笑い転げて時間が過ぎ、私はお稽古場を後にするのですが・・・
その帰路の私は、完全におかしくなってました。
熱に浮かされたようになった、というか。
「すごいことになってしまった。」
私は突然の出来事に、ものすごく興奮状態になり、
電車を逆に乗って2駅過ぎるまで気がつかないほど、
おかしくなってました(笑)
私はその夜、親友のさとみちゃんに興奮のメールを送っています。
「大変大変!さとみちゃん!あたし、
名取になるかもしれない!どうしよう?!」
私はこの日を境に、「私はいつか、名取さんになるんだ」と
漠然と思うようになったのです。
日本舞踊にも歌舞伎にもまったく興味がなくて、
興味がないまま、仕事のために、義務感でお稽古を始めた私は、
入門当初、それほど御稽古に熱心ではありませんでした。
人の御稽古もほとんど見ず、後ろにたつこともなく
自分のお稽古が終わるとさっさと帰っていました。
他のお弟子さんが師匠と踊りや歌舞伎の話に盛り上がっているのを
聞いているのが苦痛で(全然興味がなかったから・笑)
「早く自分のお稽古を終えて帰りたいな」って
思って下を向いて座っていました。
そんなだった私が。
数ヶ月経って、いつの間にか、踊りを好きになり。
心から師匠を尊敬するようになり。
「一生踊っていきたい」と思うようになり。
「あんた、おかしいよ(笑)」と師匠にいわれるほどの
御稽古好きになり。
それでも、「名取は無理だな〜〜」と思っていたので。
「こんなことになっちゃってどうしよう?」と自分で自分に動揺してました。
でも、もう「そうなりたいと、思ってしまった私」は確かにそこにいて、
それはもう止められない情熱になっていきました。
日々は流れ、私は舞台を経験し・・・。
2005年1月のある日。
私は正式に師匠から名取さんになるお話をいただきました。
その瞬間も、「なりたい」と思った日と同様に
私にとって、あまりに突然やってきました。
たまたま誰もいないお稽古場で、
「もうじき2月ですね。私がお稽古を始めた記念日がきますねー」
そんな話から始まりました。
「先生?先生は、今後の私の事をどうお考えですか?
私は今後どういう覚悟でいればいいですか?」
私は唐突に尋ねました。
師匠のお顔がふっ、と真面目な表情に変わりました。
「あのね。これはね。僕、いつ言おうかとずっと思ってはいたんだけど。」
え?
「ウチ(藤間流勘右衞門派)は試験がないからね。
じゃあ、いつなんだ、って聞かれれば
一定の条件がそろって、そして、日ごろの
本人のやる気と精進を見て、
時期だな、と思ったら、ってところなんだよね。」
はい。
「あなたが本気なのは僕はよく知ってる。
それから、あなたは、もう、3度の舞台を経験してるし、
十分な資格をもってるとそれは僕は、そう思ってるよ。」
本当ですか?
「うん。本当だよ。だから、
いつ、どういう形で言おうか、とは
思っていたんだよ」
(何かが、動いている。すごい勢いで。これはもしや。)
「大体は、お浚い会の後にね、よく頑張りましたね、
ではどうですか?って感じが多いんだけど。」
はい。
「それはそれでいいタイミングなんだけどね。
あなたの場合はどうしようかなあ、とは思っていたんだよ。」
はい。
「そう、だから、今日、こんな話になってよかった。」
はい。
「名披露目は、来年母親の会もあるし、
その先の僕の会でもいいし。どれかにすればいいでしょう。」
(どうしよう。これは。これはもしや。これはそういうこと?)
四方山話がどんどんすごい方向に進んでいく。
私の胸は張り裂けそう。
「供奴」を踊った直後の、汗でびしょびしょの浴衣で
ぼさぼさの髪にボロボロの顔で
こんな話になったことだけが不本意(笑)
師匠がとてもきっちりと正座をしなおされました。
私も正座をしなおしました。
「では。お名前を取りますか?」
「はい。」
「では、そのように進めていきましょう。
一緒に、いいお名前を考えよう。」
「はい。どうぞよろしくお願いいたします。
先生。私、今、すごくすごく嬉しいです。
ありがとうございます。」
私は両手をついて、お辞儀をしました。
すると師匠も私に向かって、両手をついてお辞儀をなさいました。
「こちらこそ。どうもありがとう。」
「え?先生も、『ありがとう』なんですか?」
「そうだよ。そうだよ。ありがとう、だよ。
名取が増えるってことは、自分の子供が増えるってことだから。
だから、僕の子供になってくれて、ありがとう、なんだよ。」
このお言葉も、私は一生忘れないでしょう。
そして、2005年9月6日。
私は「藤間絢也」というお名前をいただきました。
「名取になるとなんかいいことがあるの?」
「なんか意味があるの?」
いろんな人に訊かれました。
私自身、これに対する明確な答えはありません。
ただ言えるなら・・・
「どうしても、そう、したかった」としか言えません。
どうしてもどうしても。そう、したかった。
もう、胸が焼け付くほどに、それが、したかった。
私がこれほどまでに「そうしたい」と思った、
そのことに自分でウソもつけないし、自分を抑えることも出来ない。
私は。ただ、そうしたかったのです。
本当にそれだけ。それだけの想いでここまできました。
どうしてもそうしたかったことがかなった。
すごいなあ。人生って。
かなう夢もあるんだ。
親友の花柳多智雛さんが私に言いました。
「あたしたちってさ。一個、夢、かなえたんだよ。
夢をかなえるってすごいことだね。
よかったねあみちゃん。あたしたち、本当によかったね。」
私も、本当にそう思っています。
夢は新しい夢を生み、私は今また、必死に歩いています。
しんどい夢ではあるけれど。
「名取りさんになりたい」と口走って
熱に浮かされたように電車を逆に乗った(笑)
あのときの私を、
あのときの気持ちを
ずっとずっと忘れずにいたいな、と思います。
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